アイザック・スターン Isaac Stern(Violin) 1920年ロシア生まれ。8歳でヴァイオリンをはじめ、15歳の時、モントゥー指揮サンフランシスコ響と共演しオーケストラ・デビュー。43年のニューヨークのカーネギーホールでのリサイタルの成功で大センセーションを巻き起こす。以後アメリカが生んだ世界最高のヴァイオリニストとして、コンサート、レコーディングに活躍している。60年には閉鎖の危機にあったカーネギーホールの存続に尽力、以後館長として30年以上にわたり同ホールの運営に携わる。第1回から毎回、宮崎国際室内楽音楽祭のためだけに来日しており、今回で連続6度目の来県となる。第3回音楽祭からは、教育プログラム・室内楽講習会で後進の指導にも情熱を注いでいる。 |
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カール・ライスター Karl Leister(Clarinet) 1937年ドイツのヴィルヘルムスハーフェンに生まれ、ベルリン放送交響楽団のクラリネット奏者だった父からクラリネットの手ほどきを受けた。ベルリン音楽大学で学んだ後、ベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団のソロ・クラリネット奏者を2年間務める。57年、ミュンヘン国際コンクールで第2位に入賞。59年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1ソロ・クラリネット奏者となり、34年間、オーケストラの責務のかたわら、カラヤン・アカデミーでの指導や室内楽活動、さらにソリストとしても活躍。退団後の93年秋からベルリンのハンス・アイスラー音楽大学教授。DGG、EMI、フィリップス、ソニーなどに多数の録音を残している。ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル及びアンサンブル・ウィーン=ベルリンの創立者のひとり。ロンドン王立音楽アカデミー名誉会員。 |
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ピンカス・ズーカーマン Pinchas Zukerman(Violin/Conductor) その高度な音楽性によって世界に広く知られ、天才的才能が、この30年間高く評価されてきた音楽家。その比類のない実力は現代の巨匠と言ってよい。ヴァイオリニスト、ヴィオリスト、指揮者、教育者、室内楽奏者それぞれに活躍を称えられている。1948年テル・アヴィヴ生まれ。アイザック・スターンとパブロ・カザルスの指導のもと、アメリカ・イスラエル文化財団の支援を受け、ジュリアード音楽院に学んだ。60年代よりヴァイオリン、ヴィオラ奏者として活発な活動を展開しているが、70年イギリス室内管弦楽団を初めて指揮して以来、世界各地の有力オーケストラを多く指揮してきた。今シーズンもシカゴ交響楽団、ピッツバーグ交響楽団などを指揮する予定。ズーカーマンの録音は多数に上り95種を数え、どれもヴァイオリンとヴィオラそれぞれの代表的な演奏とされている。 |
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ダン・タイ・ソン Dang Thai Son(Piano) 1980年第10回ショパン国際ピアノ・コンクールでアジア出身のピアニストとして初めて優勝したピアニスト。この栄冠への研鑽が戦争の荒れ狂う故国で培われたことで一層世界中の注目を集めた。ベトナムのハノイ生まれ。ハノイ音楽学校で母親からピアノを習う(1965〜1976)。次いでモスクワのチャイコフスキー音楽院に学ぶ。ショパン・コンクール優勝後、世界40カ国以上を訪れ、リサイタルや世界的オーケストラとの協演を重ねている。昨シーズンには、ウラディーミル・アシュケナージの招きでマレイ・ペライアと共にベルリンを訪れ、リサイタルとマスター・クラスに参加した。その他、パリ、ミラノ、モントリオール、エクサン・プロヴァンス(フランス)などの音楽祭に出演した。CDはドイツ・グラモフォン、メロディアなど数社からリリースされている。1987年以降、国立音楽大学の客員教授も務めている。 |
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ジョーゼフ・カリクシュタイン Joseph Kalichstein(Piano) 1946年生まれ。ショール音楽院で学んだのち、62年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学。エドゥアルト・シュトイエルマン、イローナ・ガボシュに師事。67年、カーネギー・ホールでデビュー・リサイタルを開き、「ニューヨーク・タイムズ」紙上で絶賛された。68年、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの独奏者として全米テレビに出演。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を演奏し、バーンスタインから、「この作品を演奏するにふさわしい深い精神と実力をそなえた若手」と折り紙をつけられた。69年、レーヴェントリット国際コンクールで第1位を獲得。71年には、ミュンヘンでイスラエル・フィルと共演してヨーロッパ・デビュー。その後、アメリカのメジャー・オーケストラはもとより、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル等、ヨーロッパの大オーケストラとも共演している。 |
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徳永 二男 Tsugio Tokunaga(Violin) 1966年、当時日本楽壇最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。76年NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。その後第一コンサートマスターを経て、ソロ・コンサートマスターの重責を担い、長年NHK交響楽団の“顔”として抜群の知名度と人気を誇る。94年NHK交響楽団を退団し、ソロ活動を活発に行う一方、JTアート・ホールの音楽監督を務めるなど、室内楽の分野においても確固たる地位を築いている。宮崎国際室内楽音楽祭・総合プロデューサー。 |
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