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世界中をエネルギッシュに巡り、珠玉の管弦楽作品を発掘し続けてきたシャルル・デュトワは、優れたものへの情熱と飽くなき探究心に満ちている。幅広い様式の音楽に、洗練と熟練をもった解釈をすることで高い評価を得ている彼は、常に世界の一流オーケストラやソリストと活動している。1980年にフィラデルフィア管弦楽団に初めて招かれたのを皮切りに、シャルル・デュトワは、それ以後毎シーズン米国に招かれ、ボストン響、ニューヨーク・フィル、ロサンジェルス管、シカゴ響、サンフランシスコ響、ピッツバーグ響、クリーヴランド管を始めとする、米国のすべての主要オーケストラを指揮してきた。また、ベルリン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ロンドンの主要オーケストラを始めとするヨーロッパの名オーケストラや、イスラエル・フィル、そして日本、南米、オーストラリアのすべての主要オーケストラを指揮している。録音においても幅広く活躍しており、デッカ、ドイツ・グラモフォン、EMI、フィリップス、CBS、エラート等のレーベルに、アメリカ、ヨーロッパ、日本のオーケストラと録音している。170を超す録音のうちの半数はモントリオール響とのもので、これまでに世界中の40以上の賞を受けている。77年から02年までの25年間芸術監督を務めたモントリオール交響楽団との活動は、音楽におけるダイナミックなパートナーシップとして世界から認められている。90年以来、ニューヨーク州北部にあるサラトガ・パフォーミング・アーツ・センターで開催されるフィラデルフィア管弦楽団の夏季音楽祭で芸術監督と首席指揮者を務めているほか、90年から99年には、フィラデルフィアのマン・ミュージック・センターでの同楽団の夏のシーズンを指揮し、素晴らしい録音を数多く残している。91年から01年にかけて、シャルル・デュトワはフランス国立管弦楽団の音楽監督として、同楽団と共に批評家から高い評価を受けた録音を多数生み出し、世界の5大陸をあまねくツアーした。96年、NHK交響楽団の首席指揮者に、その後98年には音楽監督に任命され、同楽団と共に3回のヨーロッパ・ツアーを始め、アメリカ、中国、東南アジアへのツアーを行っている。シャルル・デュトワは20代前半に、カラヤンの招きによってウィーン国立歌劇場を指揮した。以来、コヴェント・ガーデン、メトロポリタン歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラを定期的に指揮している。また、ロサンゼルス・ミュージック・センター・オペラでの新演出によるベルリオーズの傑作「トロヤの人々」では、高い評価を受けた。03年にはブエノスアイレスのコロン劇場において、「さまよえるオランダ人」と「リング・チクルス」によるワグナーのオペラ・チクルスを開始した。シャルル・デュトワは学生オーケストラとの活動にも常に関心をもっており、フィラデルフィアのカーティス音楽院オーケストラ、ニューヨークのジュリアード・オーケストラ、シカゴのシヴィック・オーケストラ、スイスのUBSヴェルビエ音楽祭オーケストラを頻繁に指揮している。さらに、札幌パシフィック・ミュージック・フェスティバルの芸術監督を3年間務め、現在、中国・広東国際夏季音楽アカデミー音楽監督、宮崎国際音楽祭アーティスティック・ディレクター。日本においては、NHKテレビ制作による世界の音楽主要10都市を特集したドキュメンタリー・シリーズ(全10回)「Cities
of Music」に出演した。フランス政府より88年に芸術文化勲章のオフィシエ(勲4等)を、96年には同コマンドール(勲3等)を授けられた。91年にはフィラデルフィア市の名誉市民となり、95年にはケベック州政府よりケベック勲章のグラントフィシエ(勲2等)を授与された。また、カナダの音楽界への多大な功績が評価され、カナダ芸術連盟より2度表彰されている。88年には、カナダの最高の功労勲章であり、ジョン・ケネス・ガルブレイス、ジェイムズ・ヒリアー、ネルソン・マンデラ、エリザベス皇太后、ヴァーツラフ・ハヴェル、ブトロス・ブトロス=ガリらも受章した名誉オフィシェ勲章を授与されている。シャルル・デュトワはスイス・ローザンヌに生まれ、ジュネーブ、シエナ、ヴェニス、ボストンの音楽学校でヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノ、パーカッション、音楽史、作曲と、幅広い音楽教育を受けた。歴史、考古学、政治学、芸術、建築への情熱のおもぬくままに世界中を旅している彼がこれまでに訪問した国は、172カ国にのぼる。現在デュトワはスイス、パリ、モントリオール、ブエノスアイレス、東京を主な拠点として活動している。 |
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韓国ソウル生まれ。
ニューヨークのジュリアード音楽院で伝説のイヴァン・ガラミアンに、のちヨーゼフ・シゲティに師事。1967年、ドガー・レヴェントリット・コンクール優勝。1970年ロンドンでのデビュー以来、ほとんど全ての一流オーケストラ及び指揮者と共演。既に25年を超えるキャリアを誇り世界中の音楽界で最も求められている演奏家の一人である。
彼女の演奏は、力強い音楽性とともに、祟高な芸術への不断の努力を秘め、自身の希望する究極の芸術への激しい想いと深い献身に支えられている。
韓国政府は最高の名誉である国民栄誉賞を授与。さらに英国サンデー・タイムズ紙により、英国人の文化的生活に最も重要な貢献を果たした人物の一人として表彰された。
実姉のミュンファはチェリスト、実弟のミュンフンは指揮者・ピアニストである。この3人でピアノトリオ、チョン・トリオを結成し、室内楽でも活躍している。 |
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4歳でチェロを始め、9歳で上海音楽院に入学。2年後、上海交響楽団と共演して国際的な名声を獲得した。1979年、10歳の時に「中国のアイザック・スターン/毛沢東からモーツァルトへ」という記念ドキュメンタリー映画で特集され、スターンの支援を得て渡米への道が開かれ、85年にはエール大学に入学し、著名チェリスト、アリド・パリゾに学んだ。87年中国中央楽団のアメリカ・ツアーにソリストとして参加し、直後にワイル・リサイタルホールでニューヨーク・デビューを果たした。90年夏にはアイザック・スターンの70歳記念ガラに参加した。96年リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の公演にソリストとして同行するなど主要オーケストラとの共演やリサイタルを数多くこなしている。また、マリア・ジョアン・ピリス、オーギュスタン・デュメイとトリオを結成し、室内楽の演奏を行うなど、室内楽奏者としての活動も幅広く行っている。 |
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1966年、当時日本楽壇史上最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。76年NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。その後首席第一コンサートマスターを経て、ソロ・コンサートマスターの重責を担い、長年NHK交響楽団の“顔”として抜群の知名度と人気を誇る。 94年NHK交響楽団を退団し、JTアートホール室内楽シリーズの音楽監督を務めるなど、室内楽の分野における確固たる地位を築く。ソリストとして数多くのリサイタルのほか、国際的人気オーケストラ、モントリオール交響楽団(指揮:シャルル・デュトワ氏)の96年日本ツアーのソリストに抜擢され、その実力に裏打ちされたダイナミックな演奏が各方面から好評を博した。01年にはデビュー35周年を迎え、NHK響との協奏曲の夕べ、イギリス室内管との日本ツアーで大絶賛を浴びた。現在、人気、実力ともに日本を代表するヴァイオリニスト。
宮崎国際音楽祭・総合プロデューサー。 |
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アメリカを代表する世界最高の弦楽四重奏団のひとつ。1946年ジュリアード音楽院の教授をメンバーとして結成された。翌年、ベルグ「抒情組曲」でニューヨーク・デビューを飾り、音楽界に強烈な衝撃を与える。そして、この「抒情組曲」とバルトークの弦楽四重奏曲のレコーディングによってその地位を不動のものとする。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどをはじめ、J.S.バッハ「フーガの技法」、近代・現代ではヴェーベルン、シェーンベルグ、カーター等精力的にレパートリーを広げる。51年の初めてのヨーロッパ・ツアー以来演奏旅行を積極的に行い、また世界各地で何度もベートーヴェン全曲演奏のチャンスを得て、国際的なクヮルテットとして世界に君臨する存在である。 |
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1969年結成以来、聴衆と批評家たちを魅了し続けている世界最高の室内楽団のひとつ。創立者の1人でもあるヴィオラ奏者の磯村和英、74年に加入した第2ヴァイオリンの池田菊衛、99年に加わったクライヴ・グリーンスミス、そして02年にマーティン・ビーヴァーを第1ヴァイオリンに迎えた新生東京クヮルテットの演奏は高い評価を得ており、批評家らも「美しく、艶やかな音、非の打ちどころのないアンサンブル、そしてデリケートな感性をもって調整されたバランス」(ニューヨーク・タイムズ紙)を同楽団の特徴として賞賛している。同クヮルテットは、19世紀の伝統的な名演奏家ニコロ・パガニーニが所有し、演奏に使用していたことから名が付けられた「パガニーニ・クヮルテット」として知られる有名な1セットのストラディヴァリウスを演奏に用いている。これらの楽器は、95年以来、日本音楽財団から貸与されている。
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